2007年、4月7日は母の命日で、3月31日に七回忌を済ませました。
今日4月10日は母の肉体とお別れした日でした。
あの頃はまだイラストレーションも描き始めてから1年半、PCもまだ無くてデジカメも持っていなかったそんな頃です。
母が亡くなった時、実家には猫が4匹いました。
3匹は母が亡くなった後に次々と死んでいき今は庭に眠っています。
1匹残ったグリは、今も写真をいっぱい載せているけれど、母が亡くなった後に撮った猫たちの写真を載せようと思います。
MJの課題「B3自由」
いつもA3で描くのがほとんどなのでB3と一回り半ほど大きいB3は勝手が違って少々手こずりました。
しかもB3のボードが余っていたのでそれを使ったところ、水分を吸収しにくい紙で、いつもはベタの部分を2度塗り位なのが3回も4回も塗るはめになってしまい参りました~。
厚ぼったい仕上がりになってしまったかなぁ・・
色合いも普段と違う色を使おうと思ったところ(紫系に)満足な色がなかなか出せず色出しに時間かかりすぎ~。
B3はいつも描いているような絵をそのまま大きくすれば良いというわけではないので構図など間が抜けないよう気をつけました。
B3はコンビニで半分ずつスキャンし(コンビニはA3まで)いつものようにsaseさんに絵を合わせてもらいました。saseさん、いつもありがとうございますー!
3月28日、近所の大横川の桜並木を見に行きました。
昨年の写真では4月8日が満開でしたので、今年は早かったなぁー。
今年は厳冬でいつまでも寒い日が続いたのに、3月10日頃いきなり25度位の暖かい日が!
観測史上一番の桜の開花になったようです。
この日の桜はもう蕾もなく、なんだか元気もないようでした。
しかーし! 江東桜祭りは30日~から、この日にぼんぼり提灯を下げ始めていました。
どうするのかねー・・・お祭りのときにはすでに桜無しかも。
今日saseさん宅にフォトショップで絵の修正をお願いしに行った後、天気が良かったので二人で仙台堀川へ行き遊歩道の桜を見ました。
こちらの桜は、姿も綺麗で樹高もあるので気持ち良かったです。
コーナンで「アリッサム」「タイム」の苗を買って帰りました。
今日、東京の桜開花宣言が出ました。
観測史上、もっとも早いんだそうですね。
去年は4月8日のブログに大横川の桜並木が満開とあるし、この日に八王子の母のお墓参りに行ったのですが、八王子はまだ蕾でした。
今年の満開は3月22日頃といっているので、去年と比べ2週間以上も早いことになりますね。
う~ん、早すぎる・・
例年だって3月下旬でしょ、厳冬のあとの春は早いのかな。
そんなわけで、桜の絵です。MJの課題「春」で描いたものです。
今日は東日本大震災からちょうど2年めです。
帰りの14時50分発の「新幹線あさま」に乗るためにホームにいましたが、2時46分に犠牲者の方々に、そして復興もままならずまだ苦しんでいる人達に早く平穏な日々が戻るよう黙祷してきました。
さて3月8日~11日まで佐久へ行って来ました。
1月の大雪はすっかり溶けて家へ入る道はドロドロで靴が泥だらけに。
今年の福寿草は丈3~5センチやっとつぼみの状態で、9日の暖かい日に一つだけ咲きました。
昨年の3月に行った時の福寿草は、花も沢山咲き丈も10センチほど、今冬はいかに寒かったかということでしょうか。
9日は一日中暑いくらい、4月中・下旬の陽気でした。おかげでグリハウスの掃除、敷物の洗濯はスムーズに乾き綺麗に整頓できました。
10日、庭木の剪定。前回やり残した松や満天星(どうだんつつじ)は脚立に上って、線路際の柾木もやっと剪定を済ませました。
昼前から雨が降り出し北風が吹き始め急に寒くなり中断、3時頃から小雨の中続行し、やっとひと段落つきました。
今年は母の七回忌、まだ母の遺品整理をやってます。
今回は和服。手仕事が好きな友人には喪服(夏物、呂を含む)と帯二本。
式服(紋付、裾模様)と帯一本を。黒色の絹は使い道が多いそうでブラウスやパンツに、帯はバッグ類に仕立てるそうです。
いつも着物を着ていたい友人には、紫の道行、紺の麻葉模様着物、古代柄絹名古屋帯反物、帯締めなど。
母が好きだったロッキングチェァは訪ねて来られたK山さんが喜んで持って行って下さいました。
グリは牙が1本のため常に舌が出ている顔になってしまいます。
相変わらず私にべったりで膝から降りず、ずっとゴロゴロ言いっぱなしです。
昨夜、グリが夜のパトロールに出かけてしばらくすると「アオーン、ウオーン」と大きな鳴き声が!
懐中電灯を持って庭に出てみると、線路の向こうの駐車場でどうやらグリと別の猫が対峙しているようでした。
何もなかったかのように帰って来ましたが怪我もしておらず一安心。歯のない口で噛まれたって相手は何も感じないよー
グリの体調も良いようだし、暖かくなってきたので少し安心しながら帰ってきました。
グリちゃん、また一人になるけど元気にしているんだよー!
昭和30年、小学1~2年生の頃、札幌にいた頃のひな祭りを描いてみました。
戦後10年たったとはいえ、復興途中でまだまだ日本は貧しい時代でした。
特に両親は生後1歳の兄を連れて満州から着の身着のままで引揚げて日本に戻ってきたので、ちゃんとしたひな人形は家には無かったのです。
それでも、母は私のために二段の棚に白いシーツをかけてひな段を作り、桃の花を飾りオモチャの人形を置いて家族でお祝いをしてくれました。
毛糸で作ったペアの人形、こけし、キューピー、真っ赤な毛糸で作った犬、小さなフランス人形(勿論手足は動きません)、日本人形、持っているオモチャ全部飾ったみたいですが少ないねー
当時、猫を飼っていて猫好きはこの頃からのようです。
名前はミーちゃんだったかな?
子供が猫を抱くと大きな猫に見えますね。