今月は出かける用事が多かったのだが、今年の2月は寒暖差が多すぎる!
2〜3日ごとに気温が上下して、3連休はものすごく寒くて参りました。薄着になったりダウンを着たりと毎日の温度を確認してその日の服装を決めないとならず〜。それでも、寒いけれど空気が何となく甘く春めいてきた感じがしてきたかな。
共産党機関紙「しんぶん赤旗日曜版」2月11日号掲載、和田はつ子先生の連載小説「続・お悦さん」64回目、最終回です。2022年10月から1年4か月にわたり挿絵を描いてきた「続・お悦さん」終了しました!!
2016年〜2018年に描いてきた前作「お悦さん」(「大江戸ウーマンドクター」改題)に続き、2作目の挿絵も描かせて頂きました。和田はつ子先生の書かれる江戸時代の女性医師の生き様は、現在の頑張っている女性たちへのエールのようでした。
連載期間中、何事もなく無事描き終えることができてホッとしています。今はちょっとのんびり中〜
お悦は典薬頭今大路道輝の屋敷に招かれてことの顛末を聞いた。道輝は今までの経緯と市中の医に巣食う巨悪を倒すという親信様のご遺志を果たすことができたと話すのだった。お悦にはやっと常の清悦庵の日々が戻り、お悦と関係のあった人達のこれからを思い巡らすのだった。
共産党機関紙「しんぶん赤旗日曜版」2月4日号掲載、和田はつ子先生の連載小説「続・お悦さん」63回目です。
代官所元締宮川智乃進たちは、冬虫夏草のある場所へ縛り上げたお悦と賢作を引き立てて山を登り始めた。やっと林に行き着くとそこには浪人者を連れた大村裕庵が。二人を始末しようと用心棒の一撃がお悦と賢作に振り落とされようとしていた時、宮川がとった行動とは、そして現れた典薬頭今大路道輝は・・。
共産党機関紙「しんぶん赤旗日曜版」1月28日号掲載、和田はつ子先生の連載小説「続・お悦さん」62回目です。
山の根に近づいてくると、お悦と賢作は代官所で役人に呼び止められ薬籠を取り上げられた。草木様畏敬の令を破っているとのことにお悦が言葉を返すと相手の平手がお悦の両頬を張ったのだった。
週何日か、留守にする近所の友人に頼まれて駐車場に来る猫に餌をやっている。夜、暗くなってからしか来ないようで、姿をほとんど見られなくていつも残念に思っていた。saceさんが言うには、そこでキジ白の猫を夜の8時半頃よく見ているらしい。いいなー。たまには顔を見せてねー。ご飯をやってるのはこのオバちゃんだよー。
共産党機関紙「しんぶん赤旗日曜版」1月21日号掲載、和田はつ子先生の連載小説「続・お悦さん」61回目です。
お悦に別れの挨拶をするため清悦庵を訪れた賢作は、これから山の根にある朝鮮人参の畑に行こうとしていた。朝鮮人参に対する代官所の理不尽な理由を高見沢と共に聞いたお悦は、直ちに賢作と山の根へ向かうのだった。
昨日24日は晴れていたが風の強い冬晴れで、MJの友人と待ち合わせてギャラリーを巡ってきた1日だった。合間にランチとお茶をとって久しぶりにのんびりとゆっくり、こうして友人と会って近況や絵の話ができることはとても楽しく、充実した時間を過ごすことができた。
共産党機関紙「しんぶん赤旗日曜版」1月14日号掲載、和田はつ子先生の連載小説「続・お悦さん」60回目です。
”草木様畏敬の令”によってお悦たちの畑や建物が次々と潰されていく。様子を見に福寿園に行った高見沢が手足が傷だらけになって帰ってきた。高見沢は松五郎と長吉と共に帰る途中で多数のごろつきに取り囲まれたが、二人は傷ひとつ負わずにごろつきたちを退散させたとお悦に伝えた。
共産党機関紙「しんぶん赤旗日曜版」12月31日・1月7日新年合併号掲載、和田はつ子先生の連載小説「続・お悦さん」59回目です。
梅毒の黒幕を探るなか清悦庵のヨモギ畑が奉行所によって根こそぎ荒らされた。典薬頭今大路親信の跡を継いだ今大路道輝に乞われて草木庵を開いた弟子の佐伯賢作を訪ねたお悦は、賢作から経緯を聞きまだ会ったことのない今大路道輝の屋敷へと向かう。
令和6年・2024年、あけましておめでとうございます。
1月1日、16時10分にM7.6・最大震度7の地震があった。2日の現在で既に余震が200回近く起きている。東京でもかなり長く揺れて、テレビをつけて能登での地震を知ったがNHKの女性アナが叫ぶような言い方は驚いた。地震の際にはこういう言い方にと指導されているのだろうか。現時点で死者30名、倒壊家屋に生き埋めになったいる方も多い。2024年が始まって楽しく過ごしている元旦に起きた「令和6年能登半島地震」。今年はどんな年になるのだろうか。被災地の皆さまへお見舞い申し上げます。1日も早く日常が戻りますように。
1日に更新予定が1日遅れになり、こういう時に新年の挨拶を載せたものかと思いますが、写真だけアップしておきます。