昨日2月1日からMJ展始まりました!
さて、一昨日の31日は午後からMJ展に向けての設営をしました。体力を使うのでかなりくたびれました〜。
設営の日、峰岸先生到着で設営開始です。先生はご自身の本「画文集 芸人とコメディアンと」に直筆サインを書いているところです。
設営中〜!
2月1日(土)5時半からはMJ展のオープニングパーティでした。
この会場の六本木ストライプスペースギャラリーは、芋洗坂の再開発のため取り壊される予定で、MJ展も今回でファイナル、最終回です。
参加者も170人と多く、3フロアがギリギリいっぱいで許容量も超え、かなりきついスペースになっていましたね。
1枚め、オープニングの挨拶をする峰岸先生。先生の後ろに私の絵が掛かっています!
3枚目はTIS理事長のイラストレーター、小池アミーゴ氏です。4枚目は峰岸先生の奥様、長年MJを支えて下さっていました。
私は時代物1点、昭和物2点を出品しました。
MJ展の会期は2月1日〜13日、11時〜19時です。私は4日の午後3時〜7時まで在廊しています。
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K山 (日曜日, 02 2月 2020 15:34)
春・夏・秋・冬・・・
私も猫達と何回あの大きな木を見上げたでしょう。
あの庭を眺めたでしょう。
忘れることのない思い出です。
あの時の空気や風が伝わってくるような気がします。
kato-kayoko (日曜日, 02 2月 2020 20:03)
温かい詩のようなコメントをありがとうございます・・・。
K山さんのコメントを読んだ時、私も佐久に通って母や猫たちと過ごしていたあの頃を思い出し、ツンと涙が出そうになりました。今でも佐久を思い出さない日はありません。
毎月、母の元へ帰っていたあの日が懐かしくて、今一度あんな自然の中にいるような日々が過ごせたらといつも思います。
あの家と四季を感じる草木の多い庭を手放してしまってほんとに良かったのかと感じることも時々あるんですよ。
佐久に初めて茶トラ長毛のオス猫の茶太郎が来るようになったのは、2001年の寒い1月頃でした。
茶太郎は1年余り通って来ていましたが、2002年春に長毛の三毛のミーちゃんを連れて来て、自分の餌を食べさせて次の日からプッツリと来なくなり、そのままミーちゃんが居着いたのが始まりでした。
あれから何匹もの猫が佐久のあの庭に暮らして、もう20年近くの月日が経ってしまいました。その間、沢山いた猫たちもいなくなったり死んでしまったりして、母の晩年には、ミーちゃん、ハナちゃん、イッチ君、そしてグリちゃんの4匹でしたね。
K山さんには、母の良い友人、話し相手になって下さって、一人暮らしの母にとってどんなにか嬉しかったことでしょう。グリちゃんもK山さんちの子になって最後の最後まで幸せな猫生でした。
いつまでも忘れられない懐かしい思い出です。